1/1

​ 失敗ができなくなりました

T・Sさん 2019年8月31日

「私は1937年10月11日生まれです。淡路島で生まれ育ちました。神戸・大阪・京都と移り住み。昭和37年6月16日から豊中市に住むことになりました。そこは西山実吉牧師が放出から移り住んだ場所でした。自宅二階建ての一階に家庭集会用の広間を作り、その隣に二階建ての木造アパート「喜望荘」を建てていました。その喜望荘に妹二人と私の三人で引っ越してきました。

   喜望荘の管理人は髙島才吉・テイ夫妻で、才吉さんは西山ミテ先生の実弟でした。私が住む所を探して夕方にたどり着いたのがこの喜望荘でした。その時は残念ながら先約があったのでしかたなく帰りました。何日か後に髙島さんから電話がありました。先約の人が取り消したそうです。私はもう先に決めてしまった所があったのですが、髙島さんが、うちの方が良いとすすめてくださったので、そのようにしました。


 昭和37年12月16日に西山(永野)洋子さんと私の二人が服部伝道所の初穂として武庫川で放出教会の重近牧師により洗礼を受けました。西山先生は人をほめるのが上手で、例えば、私たちが車に乗って道に迷っていても「庄司さん、運転が上手だね。」とほめてくださいました。放出教会の成り立ちを話すと一時間くらいはかかるのを三回分は聞きました。ご夫妻は家を訪ねるといつもサイダーを出してくださっていました。


 昭和40年に尼崎福音教会の信徒であった髙島さんの紹介で同教会の女性と結婚しました。感謝なことに、三人の子どもが授かりました。三人が小学生の頃、当時牧師であった鎌野善三先生に、うちの子どもたちは教会に育ててもらっている、と言ったら「それは良いことだ。教区の壮年会でぜひその証しを。」と言われました。それから何年かしてから、教団の時報に森大牧師が、自分の子どもたちは教会に育ててもらった、との記事があってうちと同じだと興味深く読みました。

 長女が高校生になった時に、少し派手好きな傾向がある、と心配になり、親としては早い目に神様におまかせした方が良いと思い、家内もそう思っていたので洗礼をすすめると、中学生の弟も、そして小学生6年生の妹も洗礼を受けると言ったので、小山牧師より(当時、鎌野善三牧師はまだ正教師でなかったため)洗礼を受けました。
 壮年会「ヘブル」の原稿はいつも失敗談を書いていましたが、今はそれも書けないです。