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与えられている命

S・Iさん 2020年8月31日

 まだ、私が幼い頃、飼っていた小動物、魚や虫などが死んでしまったとき、とても悲しい気持ちになったことを思い出しました。命の大切さを、飼っていた生き物に教わってきたような気がします。私にも二人の子どもが与えられ、同じように小さな生き物を育てるようになりました。特に、小学生の娘は、どんなに小さな虫にも愛情を注ぐようになりました。


 飼っている金魚の卵を見つけたときも、別の水槽に移して4回ほど孵化させましたし、道で、アゲハ蝶のさなぎを見つけたときは幼虫をいただいて、成虫にまで育てました。ホームセンターでは、わざわざ蝶の幼虫や卵の付いたミカンの木を購入し何匹もの蝶を成虫にまで育てました。カブトムシなども卵から育てましたが、特に驚いたのは蚊も殺そうとはしません。それどころか、幼虫であるボウフラの話しをすると、卵から育てたいと言いだしました。


 なによりも一番驚かされるのが創造された神様の凄さと素晴らしさでした。成長過程でいろいろな発見もありました。
どんなに小さく必要なのかなと思うような虫でも、ある生き物にとっては大切な食料だったり、川や池などが汚れないようにしていたりすることがわかります。


 昔、礼拝説教で爪や指紋の必要性の話しを聞きました。何の役にも立てていないように思われがちな身体の一部ですが、それらがなければ細かい作業が出来なかったり、物が掴めなかったりすると教わり、また、オーケストラでの演奏会の練習でピッコロという楽器が自分なんかいなくてもと、音を鳴らさなかったときに指揮者が演奏を止めて「君の音がなければこの演奏は成り立たない」と叱った話しを思い出します。


 自分にはたいしたとりえもなく凄く小さな存在だと思うこともあり、自分の存在価値がわからず、不安になることもありました。ただ、今はこんなに弱く小さなものをも必要として用いてくださり、生かされている恵みに感謝しています。神様は言ってくださいます。
 

「空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。」(マタイによる福音書6章26節)。

 

成長させてくださる神様に感謝。

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